建築士カトーのヒトリゴト

『あれから3年』

 

 

そうです。あれから3年経ちました。

その年の5月、私は会社の社長に直談判して視察に行ったのです。

視察は相馬市から北上し陸前高田までの400kmを三日間かけて車で走ってきました。

当時立ち入り禁止区域が沢山残っている状態でした。

まだまだがれきの中には、貯金通帳や位牌が散乱している状態で、声が出ないとはあのような風景を見たときに起きるものなんですね。

 

直に取ってきた写真を紹介します。

相馬市です。

津波の前では木造の家は無力でした。

東日本視察 034 (450x338).jpg

 

仙台市若林区です。

これは平屋の家ではありません。

2階だけがもぎ取られ、流れてきたのです。

東日本視察 080 (450x338).jpg

 

東松島市です。

きっと素晴らしい農地が広がっていたんでしょうね。

東日本視察 132 (450x338).jpg

 

石巻市です。

呆然と立ち尽くしました。

大きな住宅街だったところです。

東日本視察 150 (450x338).jpg

 

女川町です。

津波の勢いの一番強烈だったところだと思います。

RCのピルが何棟横倒しに倒れているんです。

ビルの屋上に車が乗っているのです。津波に高さに驚きました。

東日本視察 244 (450x338).jpg

見て分かる通り倒れたところに基礎の跡がありません。

倒れてなお流されているんです。

東日本視察 228 (450x338).jpg

 

南三陸町です。女川町と同じく道が通じてなく入るのに苦労した町です。

TVで度々紹介されている、南三陸町防災庁舎です。ここで津波にのまれるまでずっと広報を流していた若い女性職員や町長が亡くなっています。

 

東日本視察 365 (450x338).jpg

 

気仙沼市です。

ここは有名な漁港です。大きなマグロ漁船などが陸に上がったままです。

東日本視察 442 (450x338).jpg

川の中にはまだ家が残されていました。

東日本視察 399 (450x338).jpg

 

陸前高田市です。

何にも残っていませんでした。何もかも無くなった町です。

東日本視察 449 (450x338).jpg

 

本当に無残な風景の連続でした。

亡くなられた方々には本当に心からご冥福をお祈りいたします。

また、復興を祈っています。

 

この陸前高田市で日が暮れました。この周縁には事前の調べでも宿がなく、ここから100km走ってその日の宿へ向かったのを思えています。

 

言葉が足りませんが、今日は当時の絵を見て悲惨さを思い出さなくてはいけないと思うのです。

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コメント(1)

忘れてはいけません。私も去年相馬市に行きましたが、2年経過しても・・・・今だからできることはやらないといけません。胸が痛いです。

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